未だにFAXを使っていたり、新聞を読んでいる人の気持ちを理解してみる
スマホが世界的に普及し、いつでもどこでも知人と連絡を取り合ったり、自分が知りたい情報、最新の情報を得ることができる現代。しかし、未だにFAXを使っていたり、新聞を取って読んでいたりする人は少なからずいます。
明らかに便利で安価なものがあるのに、それに乗り換えないのはなぜでしょう。時代についてこれない、と結論付けるのは簡単ですが、いずれ訪れる未来の自分の身に置き換えると見えてくるものがあります。
例えばこういうことです。
205X年、三十数年前に元気にブログを書いていたぼくもすっかり齢を重ね、めでたく60代になりました。
この時代にも一応パソコンと呼ばれるものは存在しています。しかし、それはもはや30年ほど前のパソコンとは全く違う形で、全く違う使い方をされています。
まずその本体はとても小さくカードサイズくらい、あまり小さいとどこにいったかわからなくなりますからね。
モニター?マウス?そんなものはありません。すべての操作や表示は操作する人の脳内で完結します。
このパソコンを使用するためには、専用のチップを頭部に埋め込む必要があります。それによって操作する人の脳に直接信号を送受信することができるようになります。頭の中には何十何百もの画面が同時に展開され、考えたことが瞬時にテキスト化、画像化されるため、昔で言うところのパワーポイント資料などを1分間で50枚とか作れます。
音声入力なんて完全に過去の遺物です。「考えた」ことがそのまま具現化されるので、文章も画像も音楽も映像も、当然プログラミングも「手を動かして」作る時代は終わりました。
こんな便利なパソコンが小学生のお小遣いで買える価格で売られているのです。
さて、60代になったぼくはそんなパソコンを使いこなす若者たちを横目で見て、昔ながらの物理的なパソコンで作業しているかもしれません。頭の中にチップを入れる勇気もなく、仮にチップを入れたとしても、様々な雑念が邪魔をして思っただけではテキストも画像も上手く作れないでしょう。デジタルネイティブと言われた若かりし頃は今は昔。明らかにもっと便利で安いものがあるのに、なんであの爺さんはディスプレイとキーボードを使ってブログなんて書いてるんだろうと、若い世代から首をかしげられています。
わかってるよ、これより便利なものがあることなんて。自分が時代についていけてないことも理解しているよ。
ただ、新しいことを一から学ぶモチベーションもすっかり衰えたし、自分が若い頃の大半の時間を費やして体得したスキルを否定する勇気も気力も無いんだよ。
仮に新しい技術を覚えたところで、それを使える時間もそれほど残っていないのだよ。
思うに、自分が40代くらいまでに経験した習慣や技術を変えることはそう簡単ではないのでしょう。
これほど目まぐるしく技術が進歩し、常識が入れ替わる時代は人間にとって決して幸せな時代ではないのかもしれません。
ほんの数百年前までは、自分たちの世代も祖父の世代も孫の世代も同じレベルの技術の中で生きていたのですから。