差別は悪いことと知りながら、血液型で人間のカテゴリ分けをする人たち
A型は几帳面、B型はマイペース、などとぼくが子供の頃からずっと言われている血液型での性格診断。
言うまでもなく、このようなことを言う人達はもれなく馬鹿なのですが、なぜこのようなエセ科学が一般常識と呼ばれるほど浸透したのかには興味があるところです。
そもそも言わなくていい
先ほどぼくは「このようなことを言う人達はもれなく馬鹿」と書きましたが、「このようなことを言う人達」はもれなく馬鹿であって、「このようなことを考える人達」は自由にすればいいと思います。
人間何を考えるか、何を信じるかは自由です。ぼくだってこのブログで好き勝手なことを言っています。
しかし、血液型性格診断を信じる人はなぜか「言う」のです。
A型っぽくないよね〜、B型の人とはちょっと合わないんだよね〜、といったことをなぜか人前で(下手したら本人の前で)言うのです。これは完全に馬鹿です。
人間は本能的に差別をしたがる生き物である
ちょっと話は飛びますが、人間はかつて明確な社会階級、身分制度を持っていました。
これらは人種や門地、貧富の差や宗教・思想など、様々な指標に基づいて強制的に決められていました。
当然、このような時代にそぐわない制度や考え方は、人類の進化とともに消えていくことになったのですが、今でもその考え方に取り憑かれている人がいないわけではありません。
以前、宮崎哲弥さんがラジオで以下のようなお話をしていたのがとても記憶に残っています。
なぜ人は血液型性格診断を信じるのか。それは差別がなくなったからですよ。
なるほど、人間はほとんど本能的に自分たちを階級やカテゴリに分けたがる生き物であるが、何の根拠もないカテゴリ分けは差別となってしまうので、なんとなく科学っぽい血液型で堂々とカテゴリ分けができることを良しとしてしまっている、ということでしょう。
そう考えると、喜々として血液型性格診断を語るのは、あまり品が良い行為とはいえないでしょう。