教育熱心な上司の下で働いてはいけない理由
俺がこのチームを育てる、自分は教育担当だ、という教育熱心な人はどの会社にも一定数以上います。
しかし、今後このような社内教育に特化した人材は、会社にとって有益でないばかりか、会社に害をもたらす存在になるでしょう。
教育熱心な上司のチームは成長しない
1人が学んだことを複数人に教えることは非効率です。
1人で学べることには限りがありますし、1人の視点からでは気づけないこともあります。
チームとしても成長を考える場合、複数人が違う視点で1つのことを学び、それぞれの視点で気付いたことを共有する。または、複数人がそれぞれ違うことを学び、自分以外の人に共有する。といった手法の方がより効率よく全体としても個人としても成長することができます。
上司が経験によって得た手法を、絶対的なものとして複数人に共有すること。それはチームの能力がその上司の能力以上に高くならないことを意味します。
一昔前と比べて、インプットの量と方法は桁違いに増えています。複数の視点から物事を考えることは、よりよい方法を検討する上で不可欠です。また、気づきにくい落とし穴やリスクも、複数人で考えることによって発見しやすくなるでしょう。
「部下を育てる」という思い込み
人がなにかを学ぶ上で、モチベーションは無視することができない要素です。そして、モチベーションは外部から操作することができません。
上司が「教えたい」ものがどんなにあったところで、それは部下のモチベーションには関係がありません。
しかし、上司に教えたいという気持ちがなくても、部下が「学びたい」ことであれば勝手に学ぶことでしょう。
10代の子供と違い、ある程度年齢を重ねた大人は「育てる」ことができません。自発的に「育つ」環境と理由を用意することが上司に求められる役割です。
このことに気づかない上司は「こんなに丁寧に指導しているのに、あいつはまったく覚えない。あいつはやる気がない」などと、教わる側に責任転嫁をしてしまいます。
メンバーのやる気があろうとなかろうと、チームとして最大限のパフォーマンスを実現することが上司の役割であることは言うまでもありません。
自分が学んでいない
部下が学ぶ上で最も刺激となるものは、上司の学ぼうとする態度です。
「俺はたくさん勉強してきて実績も残した。だから次は部下に教える番だ」
という上司は完全に時代遅れです。
インターネット登場以前の世の中であればそれでも通用したのでしょう。しかし、今の世の中、人間が一生かけても学びきれないほどの情報が手の届く範囲に溢れています。
しかし、「若者はしっかり勉強し、たくさん経験をして、技術を磨くべき」という誤った価値観が今でも日本では蔓延っています。
上司は新しいことを勉強するのではなく、自分の経験を部下に伝えるものだ、それが上司の役割だ、と考えている人も少なくありません。
これからたくさんのことを学ぼうとしている若い人が、今現在勉強していない人から学びたいと考えるはずがありません。
むしろ、若い感性と脳の方が学習の効率が高いため、年を取った人は若者以上に勉強を意識しなくてはいけないはずです。
あるべき上司の姿
知識や経験の伝達・共有が、上司→部下の一方通行であることに何のメリットもありません。
なにかを教えたり教わったりという関係は、上司・部下・同僚の間で制限されることなく相互間で行われるべきです。
部下ができていないところはもちろん指摘して是正する、しかし、部下からの指摘も柔軟に受け入れ、最終的な決断は上司の責任のもとで行う。という意識がチームを育てる上で重要になるでしょう。